2010年05月11日
医食同源
昔から「琉球料理はクスイムン(薬もの)」と言うように、沖縄では医食同源の考えが広く一般に浸透しています。
そんな沖縄にあって、僕の生活は一日に一二回、ようやく「あり合わせのものを口に運ぶ」といった感じの、とても貧しい食生活。
国内でも真っ先に「食のアメリカー化」が進んだ現在では、「日本一の長寿県」の看板はすでにガタガタになりかけていて、僕らは正にその「ガタガタ世代」
「長生きできねーな」なんて、愚痴をこぼすヒマがあったら、先人達に学ぶべきなのかもしれません。
今でも国内最高齢者は沖縄や奄美、徳之島など、かつての琉球の版図から。
「なんでオキナワばっかり長生きなの?」
と、疑問に思われる方も多いでしょうが、実はその理由、かつての琉球王朝のシステムに隠されています。

これは「ポレポレの森」にある苗。「ハンダマー」といって、もっと大きくなるとハッキリするんですが、葉の裏が紫色になる、なかなか可愛いやつです。
これもやっぱり「クスイムン」
加熱するとネバネバになります。
琉球王朝時代、宮廷では「包厨」と呼ばれる士族の料理人達が、厨房で腕を振るっていました。
彼らは料理人であり、医者であり、文官であります。
中国から「冊封使」を歓待する際には、中国風の料理を、島津薩摩の役人に対しては日本風の料理をと、目にも口にも体にも美味しい料理を「官職」として常日頃から研究していました。
狭い島国、高温多湿の厳しい環境の中、決して豪華絢爛とはいかなかったでしょうが、それでも乏しい食材を工夫して、優れた美的感覚を駆使して、素晴らしい「食文化」を築いていました。
長い船旅を経て沖縄に来た人達は、その料理を文字通り「豪華絢爛」と感じたかもしれません。
その「包廚」達の一人に、「渡嘉敷親雲上通寛(とかしきペーチンつうかん)」という人がいました。
「ペーチン」とは職名で、士族の中でもかなり上級の者でした。今で言う高級官僚の局長クラスになるんでしょうか、とにかく士族あまりの琉球王朝時代に、激しい出世争いを勝ち残ったエリート中のエリートなんです。
そんな彼は、医者として、料理人として中国に留学。
帰国してからは「琉球王府侍医頭」として、こんな書物を書き残しました。

「御前本草」渡嘉敷親雲上通寛
これは渡嘉敷親雲上が、北京に留学して学んだ「本草学」の知識を使って、沖縄の食材を三〇〇品目以上に渡って解説、その効能や性質を説いています。
例えば、先ほどの「ハンダマー」なら、
観音菜 …… 琉名は「ハンダマ」 和名は「スイゼンジナ」 一名「ハルタマ」
キク科の多年草 草本支那人は天青地紅と云い雅名を付けて居る。蓋
し其葉の表面が青く裏面が紅色を呈して居る所から形容したものだら
う。気味は苦く、平。毒は無い。頭目の風を去り、頭玄を除き、目の
腫れ痛むを治し、風湿の痺を除き、皮膚を潤し、肌を生かし長引き腰
痛を去り、胸中の煩熱を除き、腸胃を安し、脈動を利し、手足を整へ、
頸骨疼通を止め、目血を養い、霞を去り、肝の臓の不足を補い久しく
食へば血気を利し、身を軽し、不老長寿の要薬である此もの甘いもの
は食ってよい。苦いものは食ってはならぬ。人の心気を損ずるからで
ある。
こんな本が民間に紹介されたり、宮廷料理の考えやノウハウが徐々に広がっていく中で、「日本一の長寿県 沖縄」の礎が出来上がっていったんですね。
「日本一」の結果を残している訳ですから、現代に生きるウチナーンチュも、学ぶべき所は多いにあります。伝統的な調理法もたくさん載っていますので、興味のある方はゼヒ。
僕も時々ペラペラと眺めてはいますが、未だ自分の食生活には反映されず。
偉そうな事は言えませんね、実際……、残念です。
そんな沖縄にあって、僕の生活は一日に一二回、ようやく「あり合わせのものを口に運ぶ」といった感じの、とても貧しい食生活。
国内でも真っ先に「食のアメリカー化」が進んだ現在では、「日本一の長寿県」の看板はすでにガタガタになりかけていて、僕らは正にその「ガタガタ世代」
「長生きできねーな」なんて、愚痴をこぼすヒマがあったら、先人達に学ぶべきなのかもしれません。
今でも国内最高齢者は沖縄や奄美、徳之島など、かつての琉球の版図から。
「なんでオキナワばっかり長生きなの?」
と、疑問に思われる方も多いでしょうが、実はその理由、かつての琉球王朝のシステムに隠されています。

これは「ポレポレの森」にある苗。「ハンダマー」といって、もっと大きくなるとハッキリするんですが、葉の裏が紫色になる、なかなか可愛いやつです。
これもやっぱり「クスイムン」
加熱するとネバネバになります。
琉球王朝時代、宮廷では「包厨」と呼ばれる士族の料理人達が、厨房で腕を振るっていました。
彼らは料理人であり、医者であり、文官であります。
中国から「冊封使」を歓待する際には、中国風の料理を、島津薩摩の役人に対しては日本風の料理をと、目にも口にも体にも美味しい料理を「官職」として常日頃から研究していました。
狭い島国、高温多湿の厳しい環境の中、決して豪華絢爛とはいかなかったでしょうが、それでも乏しい食材を工夫して、優れた美的感覚を駆使して、素晴らしい「食文化」を築いていました。
長い船旅を経て沖縄に来た人達は、その料理を文字通り「豪華絢爛」と感じたかもしれません。
その「包廚」達の一人に、「渡嘉敷親雲上通寛(とかしきペーチンつうかん)」という人がいました。
「ペーチン」とは職名で、士族の中でもかなり上級の者でした。今で言う高級官僚の局長クラスになるんでしょうか、とにかく士族あまりの琉球王朝時代に、激しい出世争いを勝ち残ったエリート中のエリートなんです。
そんな彼は、医者として、料理人として中国に留学。
帰国してからは「琉球王府侍医頭」として、こんな書物を書き残しました。

「御前本草」渡嘉敷親雲上通寛
これは渡嘉敷親雲上が、北京に留学して学んだ「本草学」の知識を使って、沖縄の食材を三〇〇品目以上に渡って解説、その効能や性質を説いています。
例えば、先ほどの「ハンダマー」なら、
観音菜 …… 琉名は「ハンダマ」 和名は「スイゼンジナ」 一名「ハルタマ」
キク科の多年草 草本支那人は天青地紅と云い雅名を付けて居る。蓋
し其葉の表面が青く裏面が紅色を呈して居る所から形容したものだら
う。気味は苦く、平。毒は無い。頭目の風を去り、頭玄を除き、目の
腫れ痛むを治し、風湿の痺を除き、皮膚を潤し、肌を生かし長引き腰
痛を去り、胸中の煩熱を除き、腸胃を安し、脈動を利し、手足を整へ、
頸骨疼通を止め、目血を養い、霞を去り、肝の臓の不足を補い久しく
食へば血気を利し、身を軽し、不老長寿の要薬である此もの甘いもの
は食ってよい。苦いものは食ってはならぬ。人の心気を損ずるからで
ある。
こんな本が民間に紹介されたり、宮廷料理の考えやノウハウが徐々に広がっていく中で、「日本一の長寿県 沖縄」の礎が出来上がっていったんですね。
「日本一」の結果を残している訳ですから、現代に生きるウチナーンチュも、学ぶべき所は多いにあります。伝統的な調理法もたくさん載っていますので、興味のある方はゼヒ。
僕も時々ペラペラと眺めてはいますが、未だ自分の食生活には反映されず。
偉そうな事は言えませんね、実際……、残念です。
Posted by ポレQ at 11:30│Comments(0)
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